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現在という零磁場に干渉するもの

頭おかしいんじゃね?
っていう批判は、絶賛歓迎と同時に、断固拒絶する!
は?どっちなのよ?
それを決めるのはこの記事を読んだ貴方次第です。
今回はそんなお話。
興味がない方は見ない事を推奨します。
見た後にどう思っても、どう感じても、それに私は一切の責任を負いません。











覚悟完了!な方は↓へどうぞ。














時間の概念。
そもそも、これが間違いの根本だったのかな、と。
以前、私は、「過去は決して変わる事はない」と書きました。
これは確かです。
いや、、確か「でした。」
いやいや、認識の仕方を間違えていた、というべきなのか、、、。

現在は、過去からつながり、その現在が進行形で過去になり、同時に未来が刻々と現在として自分の認識上に現れる。
私はこう、考えていました。
説明の証拠の提示も比較的容易でしたしね。

過去からず~っと、酒やタバコ、肉食を続けていた人間が、年を経て癌になる。
これは、現在を繰り返した積み重ね(過去)に於いて、原因行為(酒、タバコ、肉食による細胞へのダメージ)の蓄積が行われ、それが現在(年を経て)発現する。

原因と結果の因果関係が目に見える形で現れるからです。
そう、思っていました。

でも、実は違うんじゃないのかな。

今、現在の認識の中に過去の記憶を持った自分が存在する。
でも、過去の記憶の裏づけとなる証拠は実は何も存在しない。
「そういう過去を経験した」という記憶があるだけです。
いや、記憶「らしき」ものを思い出せる事もあるだけです。
人は忘れます。
過去を忘れます。
記憶全てを覚えている人間はそうそういません。
忘れる事で矛盾との整合性を常に取り続けるのだとしたらどうでしょうか。
もし、忘れる事ができない記憶があって、さらに、その記憶が現在の自分の意識レベルとあまりに違う場合には、世界側の方が辻褄をあわせるのだとしたらどうでしょうか。
私は以前、「災禍は人が思うから発生するかも」と書きました。
これは、ある意味、その証左と言える可能性がある。

一つ、私の経験に於ける実例をあげるならば、「コンコルド」
実は、私の過去の記憶の中では、この世界における「Tu-144」こそがコンコルドであり、試作2機が作られただけで、実用試験には失敗しています。
実際の就航はしていない事になっているのです。
2003年までエールフランス、ブリティッシュエアウェイズで就航した、という、この世界のコンコルドは、私の知っているコンコルドではなく、全く別のコンコルド。
その記憶を持って、「プロトタイプ」、「試作機」、「原型機」でグーグルweb検索をしても、画像検索をしても、この世界における「Tu-144」、私の記憶の中にある「コンコルド」は出てきませんでした。
ところが、その記憶をネット上に日記として記述した途端、「Tu-144」という存在がグーグル検索上に現れました。
そして、「Tu-144」という機体の詳細を調べると、
・コンコルドより先に就航したが実用化はされなかった。
・冷戦下のソ連の技術と威信を示す為の示威行為の一部として、コンコルドの設計図が盗み出され、コンコルドよりも早く就航させようとして…云々。
こういった記述がなされていたのです。

「なるほど、所詮、私の子供の時の記憶なんだから、単なるカンチガイか。Tu-144をコンコルドと思い込んでいたんだな。」

普通なら、こう思ったでしょう。
そして、そう思ったと同時に「とるに足らぬこと」として、自分の記憶からも薄れ、興味をなくし、そういうもんだ、と片付けられていた。
そのはずです。
でも、こうも考えられる事に気付きました。

私の過去の記憶のコンコルドこそが、私にとってのコンコルドである事は間違いなく、逆に、この世界の方が私の記憶と世界の記録の齟齬を修正させる為に「Tu-144」という存在を出現せしめた。
もしくは、意識をして、世界の記録に干渉(コンコルドの事を私の記憶を基にブログに書いた)からそういう世界になった、シフトした。

なぜならば、私の記憶から完全に私のコンコルドが消える事がなく、且つ、この世界の記録であるTu-144の存在を見ても、これは私の記憶と違うという明確な意識が、今の私の中に残っているからです。
Tu-144の存在記録と、その詳細説明は、ほぼ私の記憶の中のコンコルドと同じであり、且つ決定的にカンチガイとして片付けるのに容易な追加情報としての「冷戦下のソ連の示威行為」という記述。
なにより明確な意識が残った理由として、私が昨日書いたコンコルドの記事の即時抹消によって、自分の中の私のコンコルドの記憶のこの世界の記録との同化、希薄化がなくなった。
実は昨日、記事を書いている時から、どんどん自分のコンコルドの記憶が曖昧、且つ希薄化しているのがわかったので、直ぐに記事を消したのです。

あぁ、これなのか、と。

人は常識に囚われています。
でも、その「常識」ってなんでしょうか?
もし、それが単なる「人の意識の多数決に過ぎない」のだとしたら?
そして、「人の意識の多数決の多数は、自分が決めている」のだとしたら?
「他人は自分で自分は他人なのだとしたら?」
「他人によって、自分の中に常識というものを植え付けられているのだとしたら?」

でも、最後のはこうも解釈する事ができる。

「逆に、自分によって、他人の中の常識というものを塗り替えられるのだとしたら?」

理由は、「他人は自分で、自分は他人だから。」なのだとしたら?


以前書いた、「ここはまだよくわからない」という記述の中に「予知夢」がありました。
予知夢に限らず、「夢」、というか睡眠、というか、それに限らず、一時的に、現実認識との乖離が発生する時(瞬きもそうと言えるかもしれない)は特に認識の齟齬が発生しても実はわかりにくい。
「あぁ、夢か」
で片付いてしまうから。

2012年6月23日の朝方。
私は地震で飛び起きました。
でも、それは今は夢の出来事になっています。
その夢の中でも私は寝ていました。
寝ている最中に耳鳴り(最近意識すると結構容易に耳鳴りを認識することができる様になっているのですが。)がして、

1「キーン」という音が聞こえる
2「ギィィィィン」という、ちょっと耐えられないレベルの音に変化する。
3 その音が最高潮に達した時に、背中と腰に「ドン!」という下から突き上げる様な衝撃と共に揺れ
4 この流れで飛び起きたその瞬間に、地震がない今の意識があるこの世界の嫁さんに「今地震来た」と報告。

夢と片付けるしかありません。
なんせ、この世界にはその地震の記録がないので。
でも、起きたときに腰と背中に残った衝撃の感触はしばらく残っていました。
(ベッドから落ちた、とかそういうのはないです。完全な仰向けで寝てました。)

これは結局、夢の話です。
でも、以前に書いた日記の、「まだよくわかっていない予知夢の部分」はこれなんじゃないかな、と。
直前のシフト世界の記憶。

結局、帰結するのは自分自身の意識や認識によって世界(の見え方)が変わる、という事にはなるのでしょうが。

仮に、「時間の概念」もとっぱらえたら、過去とか、未来とかいうのも、それぞれ一つの見え方に過ぎず、実際に存在するのは現在だけなんじゃないのかな、と思います。
現在の自分が、記憶(らしきもの)から知識や常識といった情報を統合、編纂し作ったフィルターから見えた世界が、その人にとっての現在(いま)。
自分から見て他人である、別人その人に見えている世界は、自分という主観視点からは、どう見えているのかは決してわかりません。
認識できないのは、ないのと同じと考えても、実はなんの差し支えもない。
自分を俯瞰するのは、他人を俯瞰するのと同義であり、他人を俯瞰する事は自分を俯瞰するのと同義。
でも、そもそも他人も自分も同じ存在であるならば、自分で意識できないところで自分自身が操っている他人を他者として認識して経験する一人劇、それが「人生」と言えるのかもしれない。
故に、今の自分が意識できない他人と自分を操る自分自身(集合意識)のくびきを離れ、自分が変化する事、知る事、認識する事に意識をもっていけば、自分は何者にもなれるし、他人は他人でありながら悪とも善ともなれる。
他人も、結局、自分が悪にキャストしたり、善にキャストしているのと同義だから。

こういう事なのではないかな、と。

故に、自分が善くあろうとすれば、それは自分に返って来る(他人という自分の一部を介して)
逆に、自分が悪くあろうとすれば、それもまた、返って来る(他人という自分の一部を介して)
自分が恐怖に縛られれば、その恐怖が現実となる。(自分の意識の反射投影)
自分が喜び包まれれば、その喜びが現実となる。(同じく、自分が思うからそうなる)

災いは思うからやってくる。
災いを思い、恐怖を感じれば、災いは何らかの形で自分の前に顕現する。

予言っていうのは、薬にも毒にもなりえるのは当然か。
予言によって、災いを示された時、その災いと同調すれば、災いに巡り合うだろうし、災いを示されても、それに同調しなければ、巡りあいたくても巡りあえない。
細やかな波長は粗い波長と同調する事はなく、同じ細やかな波長と同調し易い。
粗い波長は細やかな波長と同調する事はなく、同じ粗い波長と同調し易い。

例はいっぱいあるわけで。
物理現象にもその一端は垣間見える。
音なんかは波だから、相似性がある。
「共振」
なんかがそう。

意識でだって実例はある。
科学的に実証されてないだけで。
「シンクロニシティ」
なんかがそう。
時間の概念をとっぱらった「現在のみ」での同調。
過去でも未来でもなく、現在での同調。

陰は粗く、陽は細やか。
これは所詮イメージ。
とはいえど、そう思うならそう。

陰は細かく、陽は粗い。
これも所詮イメージ。
とはいえど、そう思うならそう。

人によっては、太陽こそが粗い=悪的なイメージでもあったりする。
人によっては、月こそが細やか=善的なイメージでもあったりする。

自分の意識次第で世界が変わる。
でも、それが容易に変わらない原因が「常識」とかいう形で自分自身を縛る「自分の」意識そのもの。
最近、耳鳴りが少し意識的にON-OFF制御出来るようになってからちょっとなんか…。
「まさかぁ!」っていうより「そういうもんなんだから仕方ない」って思うようになっちゃってるんですよねぇ…。
「水が上から下に流れるのとおなじくらい当たり前の事」の様に思えて仕方ないんですよ、えぇ。

結局、全ては自分次第です。
素直が一番だと思いますよ、やっぱり。


……。


うはw意味わかんね~ww
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